インスリンで緑内障の視力が回復 ~変性した視神経のカンフル剤として~

glaucoma Insulin 緑内障治療の最前線

インスリンが緑内障の予防や初期治療に繋がる可能性

インスリン(*1)、と聞くと血糖値や糖尿病を思い浮かべる方が多いと思います。実際、インスリン注射は、糖尿病の患者さんに血糖値を下げるための治療として広く使用されています。そのインスリンが、緑内障の予防や初期治療に繋がる可能性が報告されました。その研究について、詳しくご紹介したいと思います。

インスリンとは

インスリンはすい臓から分泌されるホルモンの一つで、血糖値を下げる働きがあります。食事によって血糖値が上がると、すい臓がこの動きをすばやくキャッチして、すぐにインスリンを分泌します。血糖が全身の臓器に到達すると、インスリンの働きによって臓器は血糖をとり込んでエネルギーとして利用したり、蓄えたり、さらにタンパク質の合成や細胞の増殖を促したりします。このようなインスリンの働きにより、食後に増加した血糖は、速やかに処理され一定量に保たれるのです。

糖尿病は、すい臓から出るインスリンが減少するか、またはインスリンの働きが悪くなって、血糖値を下げられなくなった状態(高血糖状態)が続く病気です。インスリン注射は、本来すい臓で作られているインスリンを体外から注射で補うという目的でおこなわれている治療法となります(*2)。

今までとは違う、視神経損傷「後」の神経修復過程に着目

今まで、緑内障の視神経損傷に関わる研究の多くは、視神経を保護する方法を探索するものでした。つまり、損傷を受ける前にどのように視神経を守るのか、損傷を受けてしまった視神経をどのように広めないようにするのか、という視点から、視神経が損傷を受けるプロセスやその前後の様々な反応機序を解明していくという研究でした。今回ご紹介する研究は、この視神経損傷「後」のプロセスに着目したことに特徴があります。

ここで、緑内障における視神経損傷のプロセスを確認しておきましょう。

緑内障における視神経損傷のプロセス

視神経乳頭陥凹の拡大

視神経損傷のプロセスで最初に見られる現象は、緑内障の特徴的な所見である視神経乳頭陥凹の拡大です。

篩状板が変形

この陥凹が拡大することで、視神経乳頭の深い位置にある篩状板が変形してしまいます。篩状板では、その篩の目(篩状板孔)の一つ一つに網膜神経節細胞の軸索が束になって通過しています。

網膜神経節細胞の軸索の絞扼障害

この篩状板が変形することにより、網膜神経節細胞の軸索が絞扼(こうやく;締め付けられる)障害を受けます。絞扼障害が続くと、細胞体も障害され、やがて細胞死を起こします。

緑内障の網膜神経節細胞死は篩状板変形に起因した二次的な障害

つまり、緑内障における網膜神経節細胞死は篩状板の変形に伴い、軸索が締め付けられることに起因した二次的な障害なのです(*3)。

損傷部位から脳側に向かって変性が開始

なんらかの原因で視神経が損傷を受けると、損傷部位から脳側(眼球とは反対側)に向かって変性が始まります。

この時期に軸索を再生できれば、視覚機能を回復させる可能性がある

しかしその場合でも、網膜神経節細胞の細胞体は、一定の期間は正常であることがわかっています。したがって、この時期に軸索を再生することができれば、視覚機能を回復させる可能性があることが示唆されました(*4)。

今回の研究は、この視神経損傷「後」で、かつ、まだ神経再生が可能であるわずかな間にインスリンを投与することを試みた研究となります。この研究は、神経科学者のDi Polo博士のチームでおこなわれています。博士らは、あるシグナル伝達系を10年に渡って研究をし続け、神経細胞を回復させる有効な物質としてインスリンを同定しました。その研究成果をもとに、今回、緑内障モデルを用いてインスリンの効果を試みる実験が行われたのです(*5)。

インスリンの投与で網膜機能が回復

では、研究の内容についてくわしくご説明したいと思います。

研究チームは、まず、マウスの緑内障モデルにおいて視神経を損傷させ、樹状突起の収縮および視力喪失を待ちました。樹状突起とは、神経細胞にある突起のことです。この樹状突起が収縮する現象は、実験上、神経細胞が死の危機を感じ取った一つの視覚的なサインとなります。このサインを確認後、博士らはインスリンを投与してみました。インスリン投与は点眼薬と全身注射の二つの方法で行われましたが、どちらの方法でも樹状突起とシナプス(他の神経細胞との連絡口)を再生することができました。注目すべきことは、神経を再生し網膜機能を維持しただけでなく、網膜機能を回復させることもできたことです。つまり、インスリンの投与によって、変性して死にかけた神経細胞を再生し、視力を維持しただけでなく、視力を「回復」させることに成功したのです。

緑内障だけでなくアルツハイマー病等への応用に期待

この研究結果は、緑内障だけでなく、アルツハイマー病を含む他の神経変性疾患にも適用可能であることが注目されています。また、注目される他の理由として、インスリンは既に臨床的に広く使用されている薬剤であることが挙げられます。これは、非常に大きなメリットとなっています。

Di Polo博士は、「インスリンは安全性と有効性を持ち、長い歴史を持つ薬です。以前の研究では、我々の研究よりもはるかに高い用量で投与されたインスリン点眼剤は無害であり、健康な人に局所適用された場合においても、毒性は検出されなかったことを確認しています」とコメントしています。

緑内障における視力喪失に有効な視神経再生治療薬の可能性

この研究により、緑内障における視力喪失に有効な視神経再生治療薬としてインスリンが使用できる可能性が出てきました。現在、博士のチームでは、マウスではなく人に応用する研究が進められています。

安全性が既に確立されている薬剤で、緑内障だけでなく様々な疾患に応用できる研究。この研究が進み、早く臨床実現されることを期待したいものです。

(注、引用、参照)

*1 「インシュリン」と表記されることも多い。本稿では日本糖尿病学会の表記に従い「インスリン」と記載します。

*2 http://www.dm-town.com/insulin/hormone/

*3 https://academist-cf.com/journal/?p=2115

*4 http://www.igakuken.or.jp/retina/topics/topics2.html

*5 https://academic.oup.com/brain/article/141/7/1963/5039589

この記事を書いた人
doctor

横浜市立大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。日本とアメリカで、癌を早期発見・診断するための分子標的薬の研究に従事。現在は、1人でも多く早期発見することを目標に、予防医療の現場で活躍中。自身も強度近視から生じる網膜疾患を発症。視力と視野の維持のために情報収集をしている際、ネットにおける医学研究の紹介やその内容はまだまだ分かりづらい、と実感。患者さんに「医学研究」をより身近に感じて、自分の病気との関わりを実感してもらえるよう、執筆活動を開始。

doctorをフォローする
緑内障治療の最前線
doctorをフォローする
医学博士による緑内障治療・予防・原因の研究解説